真言宗 智山派 総持寺
田無山 総持寺 田無不動尊
御本尊:大聖不動明王(秘仏)
不思議童子
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当山の草創は行基菩薩が大聖不動明王を刻んでこの地に安置したのに始まる。 中世期の様子は詳らかではないが、鎌倉様式の不動尊像と天文十三年銘の板碑が残されている。 その後、元和年間(1615〜23)に法印権大僧都・俊栄和尚がこの行基敬刻の不動尊像を安置するために法界山西光寺を開創。 田無発祥の地・谷戸にあった。この西光寺が当寺の前身である。 その後、青梅街道が整備されて宿場町が形成されると、谷戸の住民は代官の指示で当地に移住させられ、慶安年間(1648〜51)第二世栄鑁和尚のとき、西光寺もこれに伴って寺構を現在地に移した。 この後尉殿大権現(現・田無神社)移転し、西光寺が別当を兼ねた。 明治に入って神仏分離の嵐が吹き荒れると、恵亮和尚は尉殿大権現の別当職を辞任し、尉殿大権現御神体の倶利伽羅不動明王像を守るため、すぐさまこれを当山の本堂に奉安遷座した。 さらに恵亮は、無住となった密蔵院と観音寺のことをも引き受けて当寺にまとめ上げ、明治八年(1875)寺号を改めて田無山総持寺とし、当山中興の第一世となったのである。 太平洋戦争では空襲で甚大な被害を受けたが、当寺の檀信徒の崇敬は厚く、その支援により本堂をはじめ客殿、庫裏、仁王門、鐘楼堂などが次々と再建・新築された。 写真左の滝の不動尊 明治十一年(1878)成田山新勝寺第十三世照輪僧正の開眼勧請。当町柳沢の宿屋「田丸屋」の奥庭に祠を建てて安置したもの。 大正六年(1917)田丸屋から当山へご遷座した。 詳しくは、関東三十六不動霊場ガイドブックをご覧下さいませ。 関東三十六不動札所にてお求め頂けます。 |