関東三十六不動霊場二十番札所

真言宗 智山派 深川不動堂
成田山新勝寺東京別院
深川不動堂
因陀羅童子
御本尊:大日大聖不動明王(秘仏)

(江戸の成田不動)
成田山信仰が降盛となるのは江戸時代初期よりである。
元禄頃になると江戸庶民一般、特に花柳界や魚河岸、木場、角力界に普及し、講社を組織して成田山へ登拝することが盛んになった。
しかし当時の交通はやはり不便であったから、本山に詣って親しく明王を拝し、お護摩の炎に接したいとの切なる願いを抱いてはいてもその実現は困難であった。
そこでこれらの人々にも親しく明王の威徳に接して護摩の座に列してもらおうと本尊不動明王の御分霊を江戸の地に奉安したいという願望が各講中に起こるに至った。
時に元禄十六年(1703)。
総勢三百人の行列が成田から江戸まで一週間あまりをかけて御本尊を遷座、富岡八幡宮の別当・永代寺の境内にて成田不動の尊像を一時安置する成田山江戸出開帳が二ヶ月にわたって盛大に威行された。
一説に五代将軍徳川網吉の母・桂昌院が、名高い成田不動尊を江戸にいながらに参詣したいと、時の高僧・隆光に頼み込んで実現したとも伝えられている。
(成田山御旅宿)
おりしも江戸庶民の間では市川団十郎の歌舞伎などで成田山信仰が大いに広まり、成田山詣の参拝講が盛んだったため出開帳が終わり、本尊明王が成田山へ御還座なされるや、直ちに御本尊の御分霊を大本山から勧請して、「成田山御旅宿」を称して江戸に置くことになり、人々の参拝を容易にする出張所が設けられた。
これが、成田山深川不動堂の始まりである。
成田不動に対する江戸での信仰熱は年々高まり、ますます深川は賑わうようになった。
(成田不動堂の誕生)
明治元年(1868)三月二十八日の神仏分離の布告により、富岡八幡社内に留まることが許されなくなると、深川の信徒講社らが大本山に働き掛け、旧来出開帳をしてきた特縁の地である深川富岡八幡神社の別当・永代寺の中にある吉祥院聖天堂に移転する事となった。
こうして翌年には御本尊は現在地に遷座せられたのである。
明治十一年(1878)には「成田山御旅宿」の宿号を廃して「成田不動堂」と改称し、永代寺跡の現在地に堂宇を着工。
明治十四年には深川不動尊を安置する本堂が完成した。
当不動堂は他の別院とは異なり、大本山御旅所として発足したため特別な寺格を有し、正式には「別院」とは称さず「飛地境内仏堂」と云う。

詳しくは、関東三十六不動霊場ガイドブックをご覧下さいませ。
関東三十六不動札所にてお求め頂けます。

東京都江東区富岡1−17−13

電車・バス
営団地下鉄東西線・門前仲町駅より100m
JR総武線・錦糸町駅前より都バス(都07)門前仲町行きにて不動尊下車すぐ。

自動車
首都高9号・福住出口1km
国道14号線(京葉道路)の緑1町目交差点より2.7km

駐車場あり(大型可)

北緯35度40分9秒
東経139度48分8秒



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