真言宗 智山派 川崎大師不動堂
金剛山 金乗院 平間寺
川崎大師
御本尊:厄除弘法大師
智慧憧童子
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(川崎大師平間寺略縁起) 平安時代の後期、第七十五代崇徳天皇の御代。 平間兼乗という武士が、無実の罪によって生国尾張を追われ、諸国を流浪したあげく、川崎の地に住みつき、漁猟をなりわいとして暮らしをたてていた。 兼乗は深く仏法に帰依し、とくに弘法大師を崇信していたが、我が身の不幸な廻り合わせをかえりみ、また当時四十二歳の厄年に当たり、日夜厄除けの祈願を続けていた。 ある夜、一人の高僧が兼乗の夢枕に立ち、「我むかし唐に在りしころ、我が像をつくり、海上に放ちしことあり。 己来未だ有縁の人を得ず。 いま汝速やかに網し、これを供養し、功徳を諸人に及ぼさば、汝が災厄変じて福徳となり、諸願もまた満足すべし」と告げられた。 兼乗は海に出て、光り輝いている場所に網を投じたところ、一躰の木像が引き上げられた。 それは尊い弘法大師のお像であった。 その頃、高野山の尊賢上人が諸国遊化の途上、たまたま兼乗のもとに立ち寄られ、尊いお像とそれにまつわる霊験奇端に感泣し、兼乗と力をあわせて一寺を建立したのが当寺のおこりである。 当山の不動堂は、明治二十三年、第三十九世隆健僧正が、成田山新勝寺不動明王の御分躰を勧請して創建されたが、第二次世界大戦の戦禍によって焼失した。 現在の不動堂は大本堂と同時に、昭和三十九年四月吉例大開帳奉修を記念して建立されたもので、同年四月二十八日に落慶した。 御本尊の不動明王像(秘仏・酉年開帳)は、昭和三十九年三月十二日、大本山成田山新勝寺より勧請した御分躰の不動尊である。 詳しくは、関東三十六不動霊場ガイドブックをご覧下さいませ。 関東三十六不動札所にてお求め頂けます。 |